五鹿屋村とは? わかりやすく解説

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五鹿屋村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 02:00 UTC 版)

ごかやむら
五鹿屋村
廃止日 1952年4月1日
廃止理由 新設合併
出町油田村中野村庄下村五鹿屋村林村砺波町
現在の自治体 砺波市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
東礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 4.43[1] km2.
総人口 1,793[2]
1938年昭和13年)末[2]
隣接自治体 庄下村、中野村、種田村山野村福野町東野尻村、出町
五鹿屋村役場
所在地 富山県東礪波郡五鹿屋村大字五郎丸[3]
座標 北緯36度36分32秒 東経136度57分53秒 / 北緯36.60892度 東経136.96478度 / 36.60892; 136.96478座標: 北緯36度36分32秒 東経136度57分53秒 / 北緯36.60892度 東経136.96478度 / 36.60892; 136.96478
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五鹿屋村(ごかやむら)は、かつて富山県東礪波郡にあった。現在の砺波市中南部の五鹿屋地区にあたる。

村名は村内の大字である郎丸、鹿島、荒高のから各一文字ずつとって名付けられた[3]

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡五郎丸(ごろうまる)村、鹿島(かのしま)村及び荒高屋(あらだかや)村の区域をもって、礪波郡五鹿屋村が発足する。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、東礪波郡が発足により、東礪波郡に所属となる。
  • 1913年大正2年) - 種田村大字高儀新村の一部を編入し、その他を併せて花島と改称[3]
  • 1952年昭和27年)4月1日 - 東礪波郡出町、油田村、五鹿屋村、中野村、庄下村及び林村が合併して、東礪波郡砺波町が発足する。

参考文献

  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。

脚注

  1. ^ 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)266頁。
  2. ^ a b 『富山県町村合併誌 上巻』(1961年9月1日、富山県発行)253、266頁。
  3. ^ a b c 角川日本地名大辞典 16 富山県』(1979年10月8日、角川書店発行)343ページ

関連項目




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