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広瀬女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 18:28 UTC 版)

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広瀬女王(ひろせじょおう/ひろせ の おおきみ、生年不詳 - 天平神護元年10月22日765年11月9日))は、奈良時代皇族天武天皇の皇子、那我親王(長親王)の娘[1]。名は広背[2]広湍[3]とも記される。位階従三位

略歴

養老7年(723年)正月、粟田女王海上女王智努女王らとともに従四位下に初叙される。その後の昇叙は粟田女王とほぼ同時に行われており、天平宝字8年(764年)10月、藤原仲麻呂の乱の直後の論功で円方女王・神社女王とともに従三位に昇叙している。翌天平神護元年(765年)に薨去。

なお、『本朝皇胤紹運録』は、長親王の子に「上道広川女王」をのせているのは、この女王と混同した可能性が考えられる[4]

官歴

続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第二十六、称徳天皇 天平神護元年10月22日条
  2. ^ 『続日本紀』巻第九、元正天皇 養老7年正月10日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第十三、聖武天皇 天平11年正月13日条
  4. ^ 『日本古代人名辞典』

参考文献

  • 『続日本紀2 (新日本古典文学大系13)』 岩波書店、1990年
  • 『続日本紀3 (新日本古典文学大系14)』 岩波書店、1992年
  • 『続日本紀4 (新日本古典文学大系15)』 岩波書店、1995年
  • 宇治谷孟訳『続日本紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1992年
  • 宇治谷孟訳『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
  • 竹内理三山田英雄平野邦雄編『日本古代人名辞典』5 - 1466頁、吉川弘文館、1966年



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