幹部養成機関としてのケシク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:40 UTC 版)
「ケシク」の記事における「幹部養成機関としてのケシク」の解説
また、ケシクは将来のモンゴル帝国国政を担う人材を育成する幹部養成機関・官僚予備軍としての側面も有していた。最初期にケシクを務めていたボオルチュ・ジェルメといったノコルたちは帝国が拡大するにつれて1軍(千人隊/万人隊)を率いる指揮官になり、チンギス・カンはモンゴル帝国建国(1206年)と前後して彼等が抜けた穴を埋めるように千人隊長の子弟で優れた者を選抜してケシクに入隊させた。彼等はケシクでの活動を通じて経験を積んだ後新たに千人隊長になることが想定されており、モンゴル帝国の貴族層にとってケシクの経験は国家の幹部になるための重要なステップとして認識されていた。 クビライが即位して大元ウルスが成立すると、ケシクは元の官僚制度を担う官僚予備軍としての側面を強めた。ケシク出身者が官職に就く場合には掌領官による推挙と、カアンが直接抜擢する場合の2種類があったが、何れも最終的にはカアンの直接的な裁量によって決められており、「ケシクはカアンに直属する」という原則が守られていた。 また、元代のケシクで特筆されるのはケシク出身者が官職を得た後もケシクの業務を続けていたことで、後述するようにケシクの長官は官署の長官職を兼ねるのが常であり、ケシク内で高い地位にある者ほど高い官職を兼ねるのが一般的であった。
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