常陸大掾鹿島流塚原氏
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桓武平氏平高望・国香を祖とする常陸大掾氏の一族で、最初に鹿島氏を名乗った鹿島成幹が塚原氏の祖とされる。そして成幹から数代のち、鹿島郡塚原の地名を号した安重が初めて塚原の姓を名乗ったとされる。その後安重の家系は代々塚原城主となり、一門衆として鹿島氏に仕えた。剣豪として著名な塚原高幹(卜伝)はもともと鹿島氏家老の卜部氏(吉川氏)の次男であったが、塚原城主・安幹の養子となった。1590年(天正19年)、豊臣秀吉より常陸一国の支配権を認められた佐竹義重・義宣親子が常陸南部に割拠する大掾氏一族(いわゆる南方三十三館)の粛清を行い、同2月に鹿島城も落城。塚原城主であった塚原義安・義隆親子は討死・自刃し、塚原氏はこれによって没落した。その後帰農するもの、他家に仕官するものなどに分かれた。
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