左右合作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/05 05:57 UTC 版)
呂運弘は1946年5月に社会民主党を結成し党首に就任した。中道左派を支持しており、8月3日に開催された結成式には李承晩が参加し祝辞を述べた。以降は呂運亨、金奎植と共に左右合作運動に参加した。 1946年10月に南朝鮮過渡立法議院が設立されると、12月に軍政当局から議員に選ばれた。 1947年7月19日に兄の呂運亨が暗殺された後も金奎植と共に左右合作運動、南北交渉を進めたが、12月に左右合作委員会が解散してからは金奎植系列で政治活動を行った。民族自主連盟が結成されると中央執行委員に就任した。
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