川島義明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/13 04:52 UTC 版)
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Yoshiaki Kawashima | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | トラック競技・ロード競技 | |||
種目 | 長距離走・マラソン | |||
大学 | 日本大学 | |||
生年月日 | 1934年5月10日(90歳) | |||
出身地 | 茨城県東茨城郡川根村 (現・茨城町) | |||
身長 | 159 cm | |||
体重 | 54 kg | |||
オリンピック | 1956 | |||
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川島 義明(かわしま よしあき、1934年5月10日 - )は、日本の元陸上競技選手。専門は長距離走・マラソン。1956年メルボルンオリンピック代表選手で、同大会のマラソンで5位に入賞した。
来歴
茨城県立水戸農業高等学校を卒業したが、進学はせずに家業の農家を2年間手伝った[1]。1955年に日本大学に入学する[1]。
1956年の第11回毎日マラソン(後のびわ湖毎日マラソン、当時は大阪府で開催)に2時間27分45秒で優勝する[2]。1956年メルボルンオリンピックのマラソン代表に選ばれ、12月1日のレース本番では30 km地点で2位集団の一角を占め、その後後退したものの、2時間29分19秒のタイムで5位入賞を果たした[1][3][4]。
メルボルンオリンピックからちょうど1年後の1957年12月1日に開かれた第11回朝日国際マラソン(現・福岡国際マラソン)では、2時間23分09秒で3位に入賞した[5]。
大学時代は毎年東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)に出場、メルボルンオリンピックからわずか1か月後だった2年生のときには8区で2位となり、16年ぶり総合優勝のメンバーとなった[1][6]。3年生時には3区で区間賞を獲得した[1][6]。
1959年に大学を卒業するとリッカーミシンに入社した[1]。その後職を移り、2015年に退職した[1]。
脚注
- ^ a b c d e f g h “箱根駅伝ランナーでメルボルン五輪男子マラソン5位の川島義明さん「『学生だから』は通用しない」”. スポーツ報知. (2021年6月19日) 2024年6月28日閲覧。
- ^ 歴代優勝者(びわ湖毎日マラソン過去の記録) - 大阪マラソン公式サイト
- ^ “Yoshiaki Kawashima Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月2日閲覧。
- ^ 【記録と数字で楽しむオレゴン世界選手権】男子マラソン:2013年以来4大会ぶりの入賞なるか? - 日本陸上競技連盟(2022年7月11日)2024年6月28日閲覧。
- ^ 福岡国際マラソンプレーバック 第11回 - 朝日新聞社
- ^ a b 第93回箱根駅伝2017ガイドブック (PDF) - 日本大学陸上競技部(2016年、2ページ目を参照)
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