川勝広長とは? わかりやすく解説

川勝広長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 06:55 UTC 版)

 
川勝広長
時代 江戸時代中期
生誕 享保20年(1735年
死没 寛政6年6月7日1794年7月3日
改名 便繦(隠居後の号)
別名 平七郎、縫殿助、縫殿(通称)
戒名 廣長(法名)
墓所 東京都港区東麻布の瑠璃光寺
官位 布衣(六位)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家治家斉
氏族 川勝氏
父母 父:妻木頼直、母:某氏
養父:川勝広當
兄弟 広長
正室:川勝広當の娘
継室:戸田忠汎の娘
広品(婿養子。内田正良の三男)、
養女(牛込勝音の娘で広品室)
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川勝 広長(かわかつ ひろなが)は、江戸時代中期の旗本。秀氏流川勝家(本家)の7代当主。

生涯

享保20年(1735年)、妻木頼直の二男として江戸に生まれ、後に川勝広當の婿養子となった。宝暦10年(1760年)11月25日、初めて将軍徳川家治に拝謁した。宝暦12年(1762年)9月28日、小姓組に列し、後に的を射て時服2領を給わった。安永4年(1775年)5月10日、義父広當の隠居により、その家督(丹波内2,570石余)を継いだ。

安永5年(1776年)4月、将軍家治の日光社参に供奉した。天明元年(1781年)1月11日、使番となり、同年12月16日に布衣を着る事を許された。寛政2年(1790年)6月24日、職を辞して寄合に列し、同年11月8日に隠居した。家督は婿養子の広品に譲った。

寛政6年(1794年)6月7日、60歳で没した。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜(第18)新訂』続群書類従完成会、1981年


先代
広當
川勝継氏系秀氏流(本家)
7代:1775年 - 1790年
次代
広品




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