川上清志とは? わかりやすく解説

川上清志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 10:01 UTC 版)

川上 清志(かわかみ きよし、1897年明治30年)4月21日[1][2] - 1944年昭和19年)12月8日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

鹿児島県出身[1][2][3]。川辺中学校(現鹿児島県立川辺高等学校)、大阪陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て、1918年(大正7年)7月、陸軍士官学校(30期)を卒業[1][2][3]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第44連隊付となる[1][3]。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を優等で卒業した[1][2][3]

1929年(昭和4年)12月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員(作戦班)、ドイツ駐在、ルーマニア駐在、歩兵第23連隊大隊長、参謀本部員(戦史課)などを務め、1937年(昭和12年)8月、兵科航空兵に転科し航空兵中佐に進んだ[1]。 同月、上海派遣軍参謀(作戦主任)に発令され日中戦争に出征[1][2][3]大本営参謀、浜松陸軍飛行学校教官を務め、1939年(昭和14年)3月、航空兵大佐に昇進した[1][3]

1939年8月、第2飛行集団司令部付となり満州に赴任[1][3]。飛行第32戦隊長、陸大教官、第2飛行集団参謀長第2飛行師団参謀長、第2航空軍参謀副長を歴任し、1943年(昭和18年)3月、陸軍少将に進んだ[1][2][3]。第2航空軍参謀長、浜松教導飛行師団長を経て、1944年(昭和19年)11月、第3航空軍参謀長に転じたが、同年12月、マレーで墜死し陸軍中将に進級した[1][2][3]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本陸海軍総合事典』第2版、18-49頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』229頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』416-417頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

川上 清志(かわかみ きよし)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 03:23 UTC 版)

横道世之介」の記事における「川上 清志(かわかみ きよし)」の解説

世之介従兄早稲田大学4年生で、幕張県人寮住んでいる。失恋きっかけ小説家目指しはじめる。

※この「川上 清志(かわかみ きよし)」の解説は、「横道世之介」の解説の一部です。
「川上 清志(かわかみ きよし)」を含む「横道世之介」の記事については、「横道世之介」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「川上清志」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川上清志」の関連用語

川上清志のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川上清志のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川上清志 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの横道世之介 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS