崔熙墉とは? わかりやすく解説

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崔熙墉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 03:34 UTC 版)

崔 煕墉
基本情報
本名 Hi Yong Choi
階級 ライトフライ級
身長 164cm
国籍 韓国
誕生日 (1965-09-13) 1965年9月13日(59歳)
出身地 大韓民国
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 21
勝ち 19
KO勝ち 8
敗け 2
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崔 熙墉チェ・ヒヨン: 최희용: Hi Yong Choi1965年9月13日 - )は、大韓民国の元プロボクサー。名の本来の漢字表記は「崔熙墉[1][2]であるが、日本語文献では「崔煕庸」[3]も用いられている。元WBA世界ミニマム級王者。元WBA世界ライトフライ級王者。世界2階級制覇王者

来歴

1987年7月18日、プロデビュー。

1988年4月10日、4戦目でOPBFミニマム級王座獲得。2度の防衛に成功。

1991年2月2日、10戦目で世界初挑戦。同じ韓国人のWBA世界ミニマム級王者金奉準に挑み、12回判定勝ち。世界王者となった。金とは10月26日の2度目の防衛戦でも対戦し、ここでも12回判定勝ちを収めた。その後、防衛回数を4に伸ばした。

1992年10月14日、5度目の防衛戦(初の韓国外での試合)。東京両国国技館大橋秀行と対戦し、12回判定負けで王座から陥落した[4]。その後、1年余りリングから遠ざかる。

1995年2月4日、世界再挑戦。WBA世界ライトフライ級王者レオ・ガメスベネズエラ)に挑み、12回判定勝ちで2階級制覇を達成した。9月5日には大阪大阪府立体育会館山口圭司を相手に初防衛戦を行い、12回判定勝ちを収めた[4]

1996年1月13日、2度目の防衛戦。アメリカカルロス・ムリーリョパナマ)と対戦したが、12回判定負けで王座陥落。この試合を最後に引退した。

獲得タイトル

脚注

  1. ^ 최희용(崔熙墉)” (朝鮮語). 韓国拳闘連盟. 2016年10月24日閲覧。
  2. ^ 歴代世界王者一覧表” (PDF). 日本ボクシングコミッション. 2016年10月24日閲覧。
  3. ^ 大橋秀行JPBA会長が日本人唯一のWBC歴代ベストチャンピオンに輝く”. 角海老ボクシングジム (2014年6月12日). 2016年10月24日閲覧。
  4. ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年

関連項目

外部リンク

空位
前タイトル保持者
サムット・シスナルポン
第2代OPBF東洋太平洋ミニマム級王者

1988年4月10日 - 1991年2月2日(返上)

空位
次タイトル獲得者
李星雨
前王者
金奉準
WBA世界ミニマム級王者

1991年2月2日 - 1992年10月14日

次王者
大橋秀行
前王者
レオ・ガメス
WBA世界ライトフライ級王者

1995年2月4日 - 1996年1月13日

次王者
カルロス・ムリーリョ



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