島への入植と米国への移民
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/30 01:28 UTC 版)
「ウスティカ」の記事における「島への入植と米国への移民」の解説
1759年、ブルボン家のシチリア王フェルディナンド3世(のちの両シチリア王フェルディナンド1世)は、島への入植を進めた。シチリアの沿岸哨戒網の一環となる2つの望楼(Torre Santa Maria と Torre Spalmatore)を建設したほか、島の東部のカーラ・サンタ・マリア(Cala Santa Maria)に貯水施設や家屋を建設し、島の中心となる集落を建設した。入植者はパレルモやトラーパニ、エオリア諸島から集まり、また100人の兵士も配置された。とくに、エオリア諸島の主島リーパリ島からは約90名の住民が移住した。ウスティカの守護聖人は聖バルトロメオであるが、これはリーパリの守護聖人が持ち込まれたものである。 19世紀末から20世紀初頭にかけて、島の人口はあまりにも多くなったために、数百の家族がアメリカ合衆国に移民した。彼らの多くが移り住んだのはニューオーリンズとその周辺であった。21世紀初頭の今日もニューオーリンズを中心としてウスティカ移民の子孫が数千人暮らしており、ウスティカとの強い絆を保っている。そのほか、サンノゼやサンフランシスコ、ニューヨーク、マサチューセッツ州などに移民した人々もいる。
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