岩殿寺 (長野県筑北村)とは? わかりやすく解説

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岩殿寺 (長野県筑北村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/22 01:52 UTC 版)

岩殿寺 がんでんじ


岩殿寺・本堂


岩殿寺・全景
所在地 長野県東筑摩郡筑北村別所13505
位置 北緯36度26分6.3秒 東経137度59分37.1秒 / 北緯36.435083度 東経137.993639度 / 36.435083; 137.993639座標: 北緯36度26分6.3秒 東経137度59分37.1秒 / 北緯36.435083度 東経137.993639度 / 36.435083; 137.993639
山号 富蔵山
宗旨 天台宗
本尊 馬頭観音
文化財 金銅十一面観音釈迦聖観音像御正体、木造大日如来坐像(重要文化財)ほか
法人番号 8100005006586
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岩殿寺(がんでんじ)は長野県東筑摩郡筑北村(旧坂北村)にある天台宗寺院。山号は富蔵山(とくらさん)。本尊馬頭観音信濃三十三観音霊場15番札所。

境内に大小75社、12坊、4支院を有する大寺であったとされるが、度重なる火災により衰退した。往時を偲ばせるものとしては重要文化財懸仏(かけぼとけ)と大日如来像、長野県宝の三所権現神像(3躯)などがわずかに残されている。

歴史

伝承によれば、嘉祥元年(848年円仁仁明天皇の命で一向大乗寺として創建。岩殿山を修験道霊場として三所権現を祀り、十一面観音深沙大王を本尊としたという。室町時代末期 武田信玄の帰依を受け、寺紋を武田菱とした。江戸時代には服部・石川両氏の入部にあたり、寺領を悉く横領されるが、水野忠直よりの黒印30石により維持される。

  • 寛永7年(1630年) 三宝院を焼失するが、直ちに復興される
  • 明治10年(1877年) 岩殿山上の施設を焼失
  • 明治16年(1883年) 富蔵山より本尊什器を三宝院に移し、山上の祭祠を廃止
  • 明治17年(1884年) 岩殿山上の施設を再び焼失
  • 昭和21年(1946年) 農地改革により寺領を失う。
  • 昭和57年(1982年) 本堂庫裏を焼失

文化財

重要文化財

  • 金銅十一面観音釈迦聖観音像御正体(三所権現懸仏) - 円形の銅板上に銅製薄肉彫りの十一面観音釈迦如来聖観音の像を表す。建長元年(1249年)の銘がある。東京国立博物館に寄託。
  • 木造大日如来坐像 - 鎌倉時代。岩殿寺本堂から北西に1kmほど離れた所にある仁熊大日堂に安置する。

長野県宝

  • 木造男神立像 3躯 - 鎌倉時代の作。もとは岩殿山の山頂付近にある三所権現の祠に安置されていたが、保存に万全を期すため、岩殿寺内に移された。

札所

  • 信濃三十三番観音札所の第15番

行事

  • 3月 - 火渡り行

交通アクセス

参考文献

外部リンク




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