山田千疇とは? わかりやすく解説

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山田千疇

読み方やまだ ちうね

江戸後期明治尾張藩士・神官尾張の人。幼名金次郎、名は方守・温知・守人通称太郎・数右衛門・知宇禰等、号は垣内園。植松茂岳国学学び明倫堂国学助教見習となる。維新後神官として『尾張神名帳集説』『尾張国式社地目録』等の編纂従事した明治9年(1876)歿、65才。

山田千疇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 15:47 UTC 版)

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山田 千疇(やまだ ちうね、1812年 - 1876年)は、尾張国中島郡中野村(のちの稲沢市)出身の国学者

人物

尾張国中島郡中野村において、松平数馬に仕えた数右衛門の子金次郎として出生[1]。歌は木村千斎に師事する[1]。また、国学は植松茂岳に学ぶ[1]尾張藩に仕え、明倫堂の国学助教見習および神祇改役見習を歴任する[1]廃藩置県により、失職したのち教導職へと転じ、私塾を開いた[1]。旧蔵書および自筆稿本を中心に260点が名古屋市蓬左文庫寄託されている[2]

著作

  • 『椋園時事録』[1]
  • 『尾張神名帳集説』[1]
  • 『尾張国式社座地目録』[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 1991, p. 572.
  2. ^ 蓬左文庫の蔵書” (日本語). 名古屋市蓬左文庫. 2016年10月8日閲覧。

参考文献

  • 『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会、角川書店、1991年10月30日(日本語)。ISBN 4-04-002230-0


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