山川イズムとは? わかりやすく解説

山川イズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 04:19 UTC 版)

山川均」の記事における「山川イズム」の解説

山川は「無産階級運動の方向転換」などを発表大衆運動との結びつき重視する方向転換論」(山川イズム)を提唱した。しかしまもなく解党論中心となり、1924年大正13年)に共産党はいったん解散するその後福本和夫の提唱する党建設重視福本イズムに基づき共産党再建されたが(第二次共産党)、これに距離を置き参加しなかった山川は「日和見主義者」「解党主義者」として共産党主流派から厳しい批判を受けるようになった。これに対し山川は堺、荒畑寒村猪俣津南雄らと1927年昭和2年)に『労農』を創刊し共同戦線党論を展開する1935年神奈川県村岡村(現・藤沢市)に借地手に入れ翌年とともに転居しウズラ飼育施設設けて生計立てるようになる1935年時点マスコミからは山川文筆捨ててウズラ飼育を始めるという報道がなされ、これに対して山川は「転向常習の手記」を発表し、自らの立場述べた1937年昭和12年)、人民戦線事件検挙

※この「山川イズム」の解説は、「山川均」の解説の一部です。
「山川イズム」を含む「山川均」の記事については、「山川均」の概要を参照ください。

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