山下将軍の尋問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 09:38 UTC 版)
1945年10月23日、ワイルドはアメリカ軍の戦犯裁判を待っていた山下奉文・元第25軍司令官に聴取調査を行うため、マニラへ飛び、同月28日に山下への尋問を行った。ワイルドがマレー作戦の作戦中・作戦後に日本軍が犯した残虐行為について詳細を説明すると、山下は証拠には触れずに「一切知らない」として否認、強い調子で犯罪をなじり、残虐行為に責任のある師団とその責任者の名前を挙げた。 ワイルドは、山下が揮下の部隊の残虐行為について敢えて尋ねなかったのは頷ける話だとし、日本軍の降伏後、上級将校は下級将校を簡単に売り、下級将校は上級将校ほかに罪を着せようとすることがわかったため、山下が名前を挙げたことを伝えて、戦犯裁判にかけると脅かして師団長を尋問すれば、より直接的な責任を持つ部隊と責任者の名前を明らかにできるだろう、検察側は司令官が知らないといっても指揮下の部隊が犯した残虐行為にたいする責任が免除されるものではないと主張するだろう、と報告している。
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