尾崎峰穂とは? わかりやすく解説

尾崎峰穂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/13 06:42 UTC 版)

尾崎峰穂
選手情報
フルネーム 尾崎峰穂
国籍 日本
生年月日 (1963-09-20) 1963年9月20日(60歳)
生誕地 東京都新宿区
獲得メダル
日本
陸上競技
パラリンピック
1984 ニューヨーク・ストークマンデビル 走幅跳 B2
1984 ニューヨーク・ストークマンデビル 三段跳 B2
1984 ニューヨーク・ストークマンデビル 円盤投 B2
1988 ソウル 走幅跳 B1
1988 ソウル 三段跳 B1
1988 ソウル やり投 B1
1992 バルセロナ 走幅跳 B1
1992 バルセロナ やり投 B1
1996 アトランタ やり投 F10
2000 シドニー やり投 F11
2004 アテネ やり投 F11
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尾崎 峰穂(おざき みねほ, 1963年9月20日 - )は、東京都新宿区出身の陸上競技選手。

略歴

小学校時代には野球、中学、高校時代にはバレーボール経験を持つ。18歳時に発症した原因不明の視神経萎縮により失明をした[1]。その後は都立文京盲学校に入学、そこで陸上競技を始める。1984年には1984年ニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックに日本代表として出場、100m、走幅跳やり投円盤投三段跳の種目に参加し100mこそ予選落ちしたもののやり投で4位、円盤投で3位、三段跳で2位、走幅跳では1位となった。以来7度のパラリンピックに出場し11枚のメダルを手に入れており、1984年のニューヨーク・ストークマンデビルパラリンピックから2000年シドニーパラリンピックまでは4大会連続の金メダルを獲得、2004年アテネパラリンピックまでは6大会連続メダルを獲得している。2008年北京パラリンピックでは障害クラスの統合などもあったが、1投ごとに記録を伸ばしたものの6位に終わり連続メダル記録は途絶えた。

ナイキCMに出演した経歴も持っている。

著書

  • 闇を跳びこえ、もう一歩
  • 見えないから見えることできること

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