尚真王に討たれる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/02 05:23 UTC 版)
安慶名大川按司三世の代であった1511年、中山第二尚氏の尚真王は各地の按司を首里に集め中央集権国家を造ろうとしていたが、当時の安慶名按司の勢力は具志川、あるいは中部一帯に広がっており、首里に呼び寄せようとしてもこれを聞き入れなかった。 1526年、王府軍は安慶名大川按司三世が依然命令に従わないことを理由に安慶名城を攻めるが自然の要塞であり周りを水量の多い天願川に囲まれているため落城させることが難しかった。しかし、調べてみると安慶名城には水がないことが判明すると王府軍は兵糧攻め・水攻めを行い長期戦に持ち込み、遂には安慶名城を落城させ安慶名大川按司による三代70年に及ぶ統治は終焉を迎えた。
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