小田出羽太郞左衛門尉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 14:45 UTC 版)
東京大学史料編纂所蔵の『小田本宗支族系図』の「常州海老ヶ島城主となる完戸氏の事」以下に、「海老ヶ島(筑西市)新善光寺にありする所」として、「如体山新善光寺三世単了上人/小田出羽太郎左衛門尉 三代常陸介時朝三男 童名喜八郎 起阿廿六日」と写してあり、注に「今按すに、小田家に出羽守任するは、中條家長の外、東鑑に見へず。/倉持(筑西市)の神官蔵の古文書に、小田出羽太郎といふ見ゆ。年号相しれ/ず。疑うらくは結城陣前後の物か。又小田時知は左衛門尉にして/知家より四代に当る。結城陣は小田家九代の後、小栗陣は小田家/十一代の時にあたり、旁符合せす。若無様は、この上人は仲條家の出にもあるか、可更考」とある(句読点を補った)。 前後の2世・4世上人の在世時期からすると、14世紀後半~15世紀前半の人。 同系図の原本は色川三中蔵本、注語は市毛幹規ないし長島尉信のものとされており、長島の稿本と推測されている。
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