小牧代官所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 01:27 UTC 版)
小牧代官所(こまきだいかんしょ)は、江戸時代に尾張国丹羽郡127村、同国春日井郡125村、美濃国可児郡5村を管轄していた代官所。天明2年(1782年)、尾張藩が年貢や賦役の徴収を強化することや同地の治安維持、藩からの御触れ(命令)の伝達などを目的として、上街道小牧宿にあった小牧御殿の一部に設けられた。約14名の役人が常駐していた。現在も残る福禄寿の石像は、義直が作らせたものだと言われている。また安置する祠は、代官所(または御殿)の建物の一部が用いられたと伝えられている。 正式には「尾張藩小牧代官支配所」で、小牧山の下、旧小牧市役所北庁舎の場が「尾張藩小牧代官支配所」だった。昭和の初め頃までは市民なども皆知っていたことである。元々は丹羽郡(小牧山より西、北西方面)を管轄地としていた。 よって上記の場所は不明。
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