小林準
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 14:55 UTC 版)
小林 準 | |
---|---|
生誕 | 1885年10月31日![]() |
死没 | 1957年9月15日(71歳没) |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1905年 - 1937年 |
最終階級 | ![]() |
小林 準(こばやし ひとし[1]、1885年〈明治18年〉10月31日[2] - 1957年〈昭和32年〉9月15日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
東京府出身[2]。陸軍士官学校第18期卒義[2]。1923年(大正12年)3月、陸軍歩兵少佐に進級し[3]、同年9月時点で歩兵第57連隊大隊長の任にあった[3]。1924年(大正13年)9月時点で陸軍士官学校本科訓育部附兼本科教官に転じ[4]、1924年(大正14年)9月時点で陸軍士官学校副官兼陸軍将校試験常置委員となり[5]、1927年(昭和2年)7月、陸軍歩兵中佐進級と同時に歩兵第40連隊附を発令された[6]。
1930年(昭和5年)3月に台湾軍副官に着任し[7]、1932年(昭和7年)8月、陸軍歩兵大佐進級と同時に近衛師団司令部附となり[1]、専修大学に配属された[1]。1934年(昭和9年)3月に関東軍兵事部部員に転じ[1]、1935年(昭和10年)8月に高田連隊区司令官に就任した[2]。1937年(昭和12年)8月8日、陸軍少将進級と同時に待命となり[1][2]、8月22日に予備役に編入された[2]。
1957年(昭和32年)9月15日、胃がんのため死去[8]。
スキーについて
1910年(明治43年)、高田に赴任していた小林は、来日していたテオドール・エードラー・フォン・レルヒ中佐よりスキーの指導を受け、レルヒ中佐より指導を受けた最後の生存者であった[9]。
脚注
参考文献
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026。
- 小林準のページへのリンク