小暮裕美子とは? わかりやすく解説

小暮裕美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/19 08:50 UTC 版)

小暮 裕美子(こぐれ ゆみこ)は、TBSの元報道キャスター。ジャーナリスト。本名同じ。コーチングの小暮裕美子とは別人である。

人物・来歴

銀行員だった父親の転勤で、小学校でアメリカ、高校でカナダの現地校に通っている。

慶應義塾大学経済学部卒業。

1984年報道記者としてTBSに入社。同期に松原耕二播摩卓士らがいる。

主に文部省警視庁東京都庁厚生省を担当する社会部の記者として活動し、1989年、「JNNおはようニュース&スポーツ」のスタジオキャスターに就任。

その後、1992年に放送された「JNNニュース1130」の初代スタジオキャスターを務めた。 1993年に記者活動に戻る。1995年には当時の科学技術庁担当記者を務めており、同年に発生した高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故では、小暮が動力炉・核燃料開発事業団が発表した事故ビデオ映像がおかしいと指摘し、「動燃のビデオ映像隠し」の発覚に繋がったという[1]

社会部記者として活動後、国際部記者として、主に海外ニュースを担当。JNN海外支局を歴任。

2006年2月時点で、TBSテレビ編成制作本部報道局取材センター外信部次長。

2010年ごろから、何年にもわたり部下のセクハラ行為、ストーカー行為に悩まされたという。「あんなにつらいことはなかった。心が折れた。ずっとトラウマになる気がする」と、後に述べている。

家族

ミュージシャンであるデーモン閣下の「世を忍ぶ仮の」姉(実姉)である。閣下からは、「『世を忍ぶ仮の』幼少時から、地上で唯一口喧嘩で敵わない相手である」と畏怖されている。 また学生時代、裕美子が学園祭でロックを熱唱している勇姿を見て「コレだ!」と、音楽活動のヒントを得たと語っている[2]。当時TBSアナウンサーだった下村健一によると、サンプラザ中野がデーモン小暮に「小暮の姉ちゃんに逢わせろ」と言っていた[3]

出演番組

期間 番組名 役職
1987年10月 1988年9月 JNNニュース22プライムタイム レポーター
1990年4月 1991年3月 JNNおはようニュース&スポーツ シフト勤務でのメインキャスター
1992年4月 1993年9月 JNNニュース1130 メインキャスター

脚注

注釈・出典

  1. ^ 【論説委員の取材ノート】長辻象平 もんじゅ「事件」から15年”. 産経新聞. 2011年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月17日閲覧。
  2. ^ 1988年頃、ゴールデンタイムテレビ放映のデーモン閣下特集番組にて [出典無効]
  3. ^ 1989年放送のTBSラジオ『マンデーナイトベースボール』より [出典無効]




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