小嶋悠司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/24 06:37 UTC 版)
小嶋 悠司
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生誕 | 1944年3月12日![]() |
死没 | 2016年6月7日(72歳没)![]() |
国籍 | ![]() |
出身校 | 京都市立芸術大学日本画 |
著名な実績 | 日本画 |
受賞 | 山種美術館賞展 優秀賞 文化庁在外研修員 京都新聞日本画賞展 大賞 芸術選奨文部科学大臣賞 |
選出 | 創画会元会員 京都市立芸術大学元名誉教授 |
影響を受けた 芸術家 |
村上華岳・松本竣介 |
小嶋 悠司(こじま ゆうじ[1][2]、1944年〈昭和19年〉3月12日 - 2016年6月7日)は京都府出身の日本画家。元京都市立芸術大学名誉教授[2][3]。
来歴
1944年3月12日に京都市で誕生する[1][2][4][5][6]。
石工であった祖父の影響を受け、幼少期から彫刻に関心を持っていた[2]。また、実家から近距離にあった東寺(主に境内)を遊び場としており[5][7]、そこで平安時代の密教美術を嗜んでいた[2]。
中学・高校在学中にパブロ・ピカソや須田国太郎を知ったという[2]。
京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)に入学し[2][7]、秋野不矩や石本正に学んだ[2]。1969年に専攻科を修了した[7][8]。在学中に「花鳥画は保守的」と判断し、人物画を描くことを決意した[2]。また、同時期の1967年9月に第32回新制作協会展で新作家賞を受章している[2][6][8]。
2016年6月7日に脳幹出血のため京都市で死去[1][2][3]。
人物
脚注
注釈
- ^ ほかにもオーギュスト・ロダン、ポール・セザンヌ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョット・ディ・ボンドーネなどの影響を受けた[2]。
出典
- ^ a b c “小嶋悠司 : 作家データ&作品一覧 | コレクション検索 | 愛知県美術館”. 愛知県美術館 - コレクション検索. 2025年3月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “小嶋悠司 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2025年3月24日閲覧。
- ^ a b 産経新聞 (2016年6月9日). “【訃報】日本画家の小嶋悠司氏死去”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年3月24日閲覧。
- ^ “上野の森美術館 - 展示のご案内 - ー追悼ー 小嶋悠司展”. www.ueno-mori.org. 2025年3月24日閲覧。
- ^ a b “常設特別展 追悼 小嶋悠司 | 豊田市美術館”. 豊田市美術館 | (2018年3月15日). 2025年3月24日閲覧。
- ^ a b “小嶋悠司 : 作家データ&作品一覧 | 収蔵品データベース | 練馬区立美術館”. 練馬区立美術館 - 収蔵品データベース. 2025年3月24日閲覧。
- ^ a b c “小嶋悠司 「穢土」 - 徳島県立近代美術館”. 2025年3月24日閲覧。
- ^ a b “小嶋悠司の詳細 - 作家詳細情報 - 徳島県立近代美術館”. 2025年3月24日閲覧。
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