寡黙な王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 07:19 UTC 版)
「フィリップ4世 (フランス王)」の記事における「寡黙な王」の解説
パミエの司教ベルナール・セッセの人物評は「ワシミミズクのような人物。このうえもなく美しいが、とりえのない鳥である。ただ黙って人を見つめるだけなのだから」というものである。フィリップ4世が控えめで寡黙な王であったことは、同時代の残した記録によっても裏づけられる。1307年、フィリップ4世はテンプル騎士団への対応をめぐって、ポワティエでクレメンス5世で会談をもったことがあった。教皇は騎士団の解体に慎重で、フィリップ4世から詳細な説明を受けるものと思っていたが、実際は部屋を横切るほんの少しのあいだ話しただけで、主要な協議はすべて教皇と顧問官のあいだで行われた。上述のとおり、フィリップ4世の治世には時代の転換を告げる画期的な事件が次々に起こったが、王の寡黙さゆえに詳細が明らかになっていない側面がある。また、フィリップ4世の役割についても、国王は何ら積極的にかかわらず、すべてはレジストたちが案出したことであるという見解と、国王は表面に出ることを極力抑えながらも背後ですべてを統括していたという見解とに分かれ、議論の対象となっている。
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