家系・家学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:43 UTC 版)
権藤家は代々藩医で、曾祖父は権藤寿達、祖父は権藤延陵であった。祖父の権藤延陵は日田の広瀬淡窓、筑後の笠大匡とともに筑後の三秀才とよばれ、儒者亀井南冥の門下生であり、天保13年(1842年)に華岡青洲に医を学んだ。権藤延陵の門下生に高良山座主坊厨家を出自とする厨順夫がいる。 父の権藤直は勤皇党の領袖である池尻葛覃に学び、真木保臣・木村赤松が同窓であった。権藤直は品川弥二郎、高山彦九郎、平野国臣とも親交があり、高山彦九郎は権藤家の親族の家で自決している。 明治4年、大楽源太郎らによる明治政府転覆未遂事件の二卿事件(明四事件、久留米藩難事件)が起こり、久留米勤皇党のメンバーも事件に参加した。計画は山縣有朋ら政府に発覚し、大楽らは処刑され、久留米藩主有馬頼咸は謹慎を受け、東京の久留米藩邸は接収された。事件に関わった松村雄之進は服役後、旧久留米藩士を率いて福島で開拓事業を行った(のち衆議院議員)。 権藤家の家学は「東洋古制度学」であり、古代中国や日本の制度や律令、また有職故実を研究するものであった。
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