宮廷官職
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 07:39 UTC 版)
西ゴート族の間では、5世紀までは制度的な宮廷会議が開かれることはなく、事実上数人の重臣 (princeps) が王の決定に助言を与える会合に参加していた。その後、国の統治に関する王の意志決定に参与する宮廷官職が形成され、有力貴族をもって充てられた。代表的な官職としては、王室及び国の財政を担当するcomes patrimoniiや王の警護を担当するcomes spatariorum、王の書記職であるcomes notariorumなどがある。このような官職に就く貴族は宮中伯 (comes, conde) という称号を帯びていた。やがて王の側近だけでなくカトリック教会の司教や、宮廷会議参加資格を有さない貴族や地方官をも含めた大規模な合議体である王会 (Aula regia) が形成され、中心的な国王の顧問会議となった。これはトレド教会会議が国政に関与するようになるまでは大きな影響力を持っていたが、会議の主導権はあくまで国王の側にあり、王が召集し、その議決は王を拘束するものではなかった。。
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