安骨浦海戦の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 03:12 UTC 版)
脇坂の抜け駆けを知った九鬼と加藤の水軍は7月6日に釜山出帆、7日に加徳島、8日に安骨浦に停泊して後を追った。安骨浦に日本艦隊が停泊しているとの報告を受けた李舜臣は悪天候で足止めされた後、10日に停泊中の日本艦隊を襲撃した。 安骨浦は浅瀬で大型船の運用に危険が伴うため、李舜臣は日本艦隊を誘引する作戦を取ったが日本艦隊は誘いに乗らなかった。やむなく順次突入させて大砲を放つ作戦へ変更して朝から晩まで攻撃を繰り返した。攻撃を受けた日本艦隊は夜の内に安骨浦を発って帰投し、朝鮮水軍も翌日から根拠地へ帰投した。 李舜臣は自身の記録である「見乃梁破倭状」で日本艦隊の発見数を大船21隻・中船15隻・小船6、と記録している。
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