学術用語として「女中」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 06:13 UTC 版)
日本の朝廷では、天皇が政務や儀礼を行う「表」(表向)の内裏と私的な生活空間である「奥」(奥向)の後宮が明確に区別されていた(三分法を用いる場合には天皇が直接関与しない事務方の口向が加わる)。「表」と「奥」の分離はやがて公家や武家の間でも取り入れられていく。江戸城に置かれた将軍の私的な生活空間である「大奥」もその区別に由来している。 江戸時代の朝廷では制度上は上位の女官を「女房」、下位の女官を「女中」と呼ぶことになっていたが、実際の運用においては「女房」も「女中」も女官全体に対して用いられていた。また、江戸時代における武家(将軍家や大名家)の奥に仕える女性については「女中」の呼称が一般的である事から、日本近世史の学術用語として公武を問わず「奥」に仕える女性という共通の位置づけを前提として、朝廷に仕える女性に対しても「女官」に代わって「女中」を使うケースが見られる(この場合の「女中」には女官制度の枠に含まれない禁裏や院に仕える女性達も含まれている)。
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