孤独な戦いと復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 22:14 UTC 版)
「リヒャルト・シルマン」の記事における「孤独な戦いと復活」の解説
ドイツユースホステル協会を追放されたシルマンであるが、国際ユースホステル連盟は、シルマンを会長に指名した。シルマンは、自由主義諸国の砦となり、ナチスの協会からユースホステル運動を守る側となったが、ナチスの様々な嫌がらせが続き、最後には旅券の発行を拒否され、国際会議に参加できなくなり、ついには引退する。やがて第二次世界大戦が始まり、ヒトラーユーゲントに吸収されたナチス協会は壊滅する。それからシルマンは恩給を受けながら家庭菜園による自給自足の生活を送った。 第二次世界大戦が終わり、1945年に国際ユースホステル連盟が復活した後、1946年のスコットランドでの国際会議にシルマンとミュンカーはオブザーバーとして招待され、アメリカ・ユースホステル協会創設者のモンロー・スミスに連れられて会議に赴いた。この2人が戦後はじめて国外旅行を許されたドイツ人でもあった。1961年12月、風邪が悪化して86歳で死去した。
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