大学・独立リーグ時代
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高校卒業後の進路を考えていた際に、自身の高校と芦屋大学を運営する学校法人芦屋学園と、関西独立リーグ(初代)の兵庫ブルーサンダーズが提携し、芦屋大学の学生をブルーサンダーズの二軍として指導する体制がつくられていたことを知り、芦屋大学へ進学すると同時に兵庫ブルーサンダーズへ入団した。 入団1年目の2013年は、自身も投手としては無理と考えていたため主に内野手として出場していたが、当時の投手コーチであった池内豊の助言から投手としても練習を再開した。 2014年、チームが関西独立リーグを脱退し新たにBASEBALL FIRST LEAGUEを立ち上げそちらに加盟。そのBFL選抜の代表入りを果たし、オリックス・バファローズ二軍との交流戦において、投手として出場した。しかし、大差がついた試合終盤で、さらに満塁本塁打も打たれるなど散々な結果に終わったが、球速が146km/hを計測したため投手専任となった。同年のプロ野球ドラフト会議で指名候補に名前が上がるも、独立リーグの立場よりも学生の立場が優先とされ指名対象外となった。 3年目の2015年には、リーグで最優秀防御率、4年目の2016年は最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得。また、球速も最速152km/hを記録した。 2016年10月20日、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから育成選手ドラフト3位指名を受け、入団。背番号は003。 チームメイトの向谷拓巳も東北楽天ゴールデンイーグルスから育成3位指名を受け、山川と向谷はBFL及び兵庫ブルーサンダーズとして初のドラフト指名によるNPB入団選手となった。これを記念して山川が兵庫で着用した背番号17は、12月28日にチームの永久欠番に指定された。
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