大倉別邸としての蔵春閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:33 UTC 版)
「蔵春閣 (大倉別邸)」の記事における「大倉別邸としての蔵春閣」の解説
大倉喜八郎は、1879年に向島の隅田川に面した場所に別邸を構えた。特に、賓客の接待用として日露戦争後の1912年に隅田川に面して建てられた建物は蔵春閣として広く知られ、伊藤博文や渋沢栄一もここを訪れた事があるという。また、単に「御殿」とも称されていた。蔵春閣は、建築面積254.50平方メートル、延床面積398.50平方メートルの2階建てで、唐破風入母屋造りの屋根に避雷針が設けられていた。 戦後の占領期に、大倉別邸は「大倉別荘」ないし、「料亭大倉」として、占領軍将校の慰安所とされた。特殊慰安施設協会 (RAA) は、将校専用の接待施設として、大倉組の「特別の好意」を得て大倉別邸を接収したとされる。また、大倉別邸には、赤線地帯とされた鳩の街のカフェー街と連続するものとしてカフェーが置かれた時期もあった。
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