大倉孫兵衛洋紙店
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大倉書店で使う輸入洋紙を仕入れに横浜に赴いた孫兵衛は利ざやの大きさに驚かされ、洋紙の販売も手がけるようになり大倉孫兵衛紙店なるものを創業した。 明治22年(1889年)店名を「大倉孫兵衛洋紙店」と改めた。当時、第2次の製紙会社設立ブームが起こり富士製紙、千寿製紙、東京板紙、四日市製紙など洋紙の国内生産が激増していった時期と重なる。 折しも操業が始まろうとしていた富士製紙の大株主が森村市左衛門であったことから、孫兵衛に紙を扱って欲しいとの依頼があり引き受け洋紙店の基盤が出来て行った。現在でもなお新生紙パルプ商事として歴史は続いている。
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