夕焼は艸負いかぶりても見ゆる
作 者 |
|
季 語 |
|
季 節 |
夏 |
出 典 |
|
前 書 |
|
評 言 |
秋田県は農業県です。ですから、農耕についての俳句は沢山あります。しかし、その多くは、民俗的なものと風土的なものです。民俗的なものは、農耕についての行事、祭の類です。風土的なものは、多雪や寒さなどを謳ったものです。 取り上げた句のように農作業を真正面から詠んだものは少ないような気がします。 手代木啞々子(てしろぎ・ああし)は、昭和十五年東京で「合歓」を創刊しましたが、戦争の時代ゆえに圧迫を受けて、二十五号で中断しました。戦後秋田県に移住し、開拓農民となり、農業に勤しみながら、昭和二十六年「合歓」を復刊します。(「合歓」は曲折を経ながら、現在も続いています。) 夕焼は、ただ立っていると良く見えます。しかし、農民となった唖々子は、草いっぱいの籠を背負っているのです。きっと牛に食べさせるためでしょう。ずしりと重く、動きもスローになります。それでも唖々子は労働の喜びを感じて、夕焼の美しさを譛えるのです。「負いかぶりても」の「も」は、作者の強調したいところなのです。下界から難儀して頂上に登るゆえに、山上からの景色がより美しく見えるのと同じように思います。 農作業の厳しさつらさを正面に見据えて、しかも抒情的な句です。 |
評 者 |
|
備 考 |
- 夕焼は艸負いかぶりても見ゆるのページへのリンク