夏姫を妻に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 09:50 UTC 版)
その後荘王は、夏姫を連尹の襄老(中国語版)に与えたものの、紀元前597年の邲の戦いにて、襄老は戦死してしまった。 巫臣は夏姫のもとへ人をつかわして、「故郷の鄭に帰りなさい。あらためて私が妻に迎えましょう」と言った。そして荘王を説得し、夏姫を鄭に帰国させる事に成功する。 荘王の死後の紀元前589年、斉が晋と対立するようになったので、巫臣は、楚が斉と同盟するための使者に任じられた。これを捉えて巫臣は全財産や大半の族人と共に楚を出国し、鄭へと入った。巫臣は鄭の襄公に夏姫を迎え入れたいと申し出、襄公はこれを許した。 そして、ここで使者の役目を放棄し、夏姫や一族と共に一度は斉に入ったが、斉が鞍の戦い(中国語版)で晋に敗退したのを受けて、亡命先を晋へと変更した。そこで「快男子」と天下に名の聞こえた郤至(郤昭子)を頼り、邢の大夫として正卿の郤克(郤献子)や晋の重臣たちに重用された。
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