壺切御剣との位置関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 02:23 UTC 版)
荒木浩は、壺切御剣は坂上宝剣と同様に後深草を超えて亀山へと伝授されたことで、どちらもレガリア的役割を深く担ったことを指摘している。両刀剣が決定的に異なっているのは、後三条天皇の頃に消失した壺切御剣は実検と復元、新造と発見という真偽を超えた対応で処遇され、象徴としてのモノとしてすでに儀礼化の中に位置していた。それに対して坂上宝剣は『公衡公記』別記「昭訓門院御産愚記」乾元2年5月9日と裏書に、刀身に彫られた文字まで克明に記録されたように、実物として存在する歴史的実在性が権威化の象徴であった。
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