増田明美
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増田 明美(ますだ あけみ、本名・木脇 明美[1]、1964年1月1日 - )は、元女子マラソン・陸上競技長距離走選手で、現在は大阪芸術大学芸術学部教養課程教授[2]、スポーツジャーナリスト・スポーツライター・レース解説者・タレント・ナレーターなどで活動中である。
- ^ 増田が代表者を務める特定非営利活動法人「日本ダブルダッチ協会」を、内閣府ウェブサイトの「全国特定非営利活動法人情報の検索」[1] 画面で検索すると、詳細結果の「代表者名」欄に「木脇明美(増田明美)」と表示される(2011年8月9日閲覧)。
- ^ “増田 明美 - 研究者 - researchmap”. researchmap.jp. 2020年1月24日閲覧。
- ^ a b 『課外授業 ようこそ先輩 7』KTC中央出版、1999年、pp.17 - 18。小学4年生の時には担任教師から「忘れ物ナンバーワン」というニックネームをつけられたという。
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』p.63
- ^ 『おしゃべりなランナー』pp.66 - 67
- ^ 俳優滝田栄の兄
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.248
- ^ a b c 「挫折」「楽しさ」伝えたい- 「女子力の研究」読売新聞千葉版2011年8月22日。小出は佐倉高校で女子長距離選手として倉橋尚巳を指導し、増田と同じ1982年の千葉県選手権マラソンに出場させている。
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.72
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.79 - 80
- ^ a b 高橋進 1983, pp. 239–241.
- ^ 朝日新聞1981年6月8日
- ^ 朝日新聞1981年6月6日
- ^ 高橋進 1983, pp. 242–243.
- ^ a b c 高橋進 1983, pp. 244–246.
- ^ この記録は1995年に市橋有里が更新するまで高校日本記録で、現在も高校記録としては歴代3位である。
- ^ a b c 朝日新聞1982年1月3日「ひと」(執筆は石沢隆夫記者)
- ^ 上記「ひと」には「マラソンへの初挑戦が期待される」というキャプションがつけられている。
- ^ 朝日新聞1982年2月22日
- ^ a b 高橋進 1983, pp. 253–254.
- ^ 引退後に「(中日20キロが)選手生活で一番いい走り方をしていた」と述べている(『おしゃべりなランナー』p.103)。
- ^ 『陸上競技マガジン』1991年3月号、ベースボール・マガジン社、p.231
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.111。資生堂とダイエーはいずれも当時女子マラソン大会を後援していた企業である。
- ^ 石井信「疾走する『求道者』瀬古利彦」『別冊宝島458 マラソンに勝つ』宝島社、1999年、pp.88 - 89。石井によると、瀧田が中村の勧誘を断ったのは、以前に別の女子選手を早稲田に推薦入学するよう依頼した際に中村から「早稲田大学競走部は女子を取らない」と門前払いを受けた経験があったからだという。
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.110
- ^ a b c 高橋進 1983, pp. 255–256.
- ^ 高橋進 1983, p. 257.
- ^ 読売新聞大阪本社編『山折哲雄 こころ塾II』東方出版、2008年、p.103(2006年の山折哲雄との対談。原文ではこのレースを「五輪の前年」と話しているが、正しくは前々年)
- ^ 『おしゃべりなランナー』pp.112 - 114
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.116
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.117
- ^ この3000mの記録は増田が作った最後のトラック日本記録となった。
- ^ a b c “増田明美氏が東京陸協の会長に就任「陸上を愛する皆さんのためにがんばりますよ~」”. 月陸Online. (2021年6月18日) 2023年6月25日閲覧。
- ^ 途中計時の30kmも日本最高。
- ^ World Marathon Rankings for 1983 - ARRSウェブサイト。増田の記録は10番目だが、これはパフォーマンス順位(同じランナーが複数記録を出している場合もすべて掲載)のためで、パーソナル順位では8番目である。
- ^ 宇佐美彰朗『女子マラソン どうして強くなったのか』筑摩書房、1996年、p.42
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』p.120。のちに、高温下でのトレーニングは疲労を蓄積させることが判明したため、現在ではこのような練習はおこなわれない。
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.121
- ^ 朝日新聞社会部(編)『人生それから』朝日新聞社(NDブックス)、1992年、pp.36 - 37
- ^ 『山折哲雄 こころ塾II』p.103
- ^ a b 季刊誌『ぺだる』vol.12(2010年秋号)、JKA(島村俊治との対談)[2]
- ^ 当時は脱水症状等体調不良を起こしていたとのみ報じられており、増田が自らのプライドのために棄権したと明かしたのはのちになってからである。
- ^ 『わたしの失敗』p.357
- ^ 『おしゃべりなランナー』pp.137 - 138
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.139
- ^ オリベイラは増田に「おもしろがって楽しめたり幸せだと思えたとき、記録は自然についてくる」と話したという(『わたしの失敗』p.359)。
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』p.152
- ^ 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』では、野次をとばされたのは「27kmあたり」で、「2 - 3人に言われたと思う」と記している(p.162)。
- ^ 対談シリーズ「言葉ほぐし」第2回 - 鷲田清一との対談(朝日新聞社朝日21関西スクエア、2012年6月15日)
- ^ 『課外授業 ようこそ先輩7』pp.56 - 57
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.104
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.107 - 108
- ^ 『山折哲雄 こころ塾II』p.105
- ^ 『わたしの失敗』p.361
- ^ マツコ&有吉「新3大」でマラソン解説・増田明美のミニ情報 お笑いナタリー2013年1月22日
- ^ a b 「東京マラソン中継で美人ランナーの恋愛を解説した増田明美」『週刊新潮』2013年3月7日号
- ^ “【復刻】「増田明美の世界」自ら解説するマニアック情報の秘密(2021年6月1日記事の再掲)”. 日刊スポーツ. (2021年8月7日) 2023年2月3日閲覧。
- ^ “細かすぎる解説の増田明美さん 小ネタのネタ元は…大阪国際女子マラソンではYouTubeで裏生実況担当”. スポーツニッポン. (2022年1月11日) 2023年2月3日閲覧。
- ^ “リオ五輪でも「マスペディア」炸裂!増田明美の“余計な小ネタ”解説が賛否真っ二つ”. アサヒ芸能. (2016年8月17日) 2023年2月3日閲覧。
- ^ “瀬古氏、増田明美さんの細かすぎる解説に「どこでそんなの聞いてるの?」”. サンケイスポーツ. (2021年2月27日) 2023年2月3日閲覧。
- ^ “増田明美さん、「細かすぎる解説」でレース中にトレンド入り…「恐ろしいまでの小ネタ炸裂」”. スポーツ報知. (2021年8月7日) 2023年2月3日閲覧。
- ^ “増田明美さん 解説で「しこたましかられました」 瀬古氏からもツッコミ「ネタが多すぎ」”. デイリースポーツ. (2021年8月8日) 2023年3月4日閲覧。
- ^ “女子マラソン「細かすぎる解説」で注目の増田明美さん「しこたま怒られました」”. スポーツ報知. (2021年8月8日) 2023年10月8日閲覧。
- ^ “マラソン中継の名物だった増田明美(57)の解説が一転して批判の嵐 東京オリンピック特有の“事情”とは《選手の恋愛を暴露》”. 週刊文春(文春オンライン). (2021年8月13日) 2021年8月16日閲覧。
- ^ “増田明美さん NHK副音声登場「詳しすぎる解説」にネット注目 前夜は感謝祭ミニマラソン解説”. スポニチ. (2023年10月15日) 2023年12月10日閲覧。
- ^ “増田明美が細かくしゃべり倒す大阪国際女子マラソンyouTube生配信 29日最強裏生実況”. サンスポ. (2023年1月28日) 2023年12月10日閲覧。
- ^ “ブスでごめんね!-ホントの僕を君は知らない 男女4P恋物語 オトナだって泣くんだよォ!”. TVドラマ 詳細データ. (2021年8月13日) 2021年8月16日閲覧。
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.36 - 40
- ^ 途上国の現状 伝えたい…増田明美さん - 読売新聞2010年9月9日(大手小町)
- ^ a b ウィンウィン対談93回 - 佐々木かをりとの対談
- ^ 大阪国際女子マラソンの重友梨佐は当初3着だったが、首位のタチアナ・ガメラ=シュミルコがドーピング違反で失格となった為、当初2着のエレナ・プロコプツカを優勝者とし、重友も2位に繰り上がった。
- ^ 増田明美さんと陸連幹部がバトル - デイリースポーツ2015年3月11日
- ^ 増田明美さん:東京・中野区教育委員に - 毎日新聞2015年3月19日
- ^ 中野区教育委員会会議録 - 平成28年3月25日第3回臨時会
- ^ a b 交友録01 増田明美さん(スポーツライター) - 黛まどかオフィシャルブログ
- ^ a b “NHK朝ドラ「ひよっこ」“語り”は増田明美さん 起用理由は解説での美声”. Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2017年2月15日) 2017年4月6日閲覧。
- ^ パラ陸連新会長に増田明美さん「一番の応援団長に」 - 日刊スポーツ(2018年6月18日)
- ^ 増田明美新会長就任のお知らせ特定非営利活動法人日本知的障害者陸上競技連盟サイト
- ^ “室伏由佳さんが日本陸連理事に、増田明美さん再任…女性理事は最多13人で43%占める”. 読売新聞. (2023年6月23日) 2023年6月25日閲覧。
- ^ 朝日新聞1981年5月4日
- ^ 石井信「中村清、瀧田詔生、佐々木功 3人の個性派監督たちの『指導者としての器』」『別冊宝島 No.458 マラソンに勝つ』宝島社、1999年、p.159。最後まで残った日本記録は1990年5月に荒木久美が更新した5000mで樹立から8年後だった。
- ^ 「一生つきあえる」三菱UFJニコスカード会員誌『DEAR PARTNER』2010年10・11月号、p.42 [3]
- ^ 関西テレビの高津義郎プロデューサー(当時)による発言(豊岡示朗(編)『女性のためのマラソントレーニング』出版芸術社、1995年、pp.104 - 107)。同書によると、増田がロサンゼルス五輪代表権をかけて出場した1984年の大阪女子マラソンの視聴率は関東地区33.0%、関西地区45.3%を記録し、この当時においても女子のマラソン・駅伝中継で歴代最高であった。
- ^ 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』p123
- ^ 「五輪へ駆ける '81東京国際女子マラソン4」朝日新聞1981年11月12日
- ^ 『女性のためのマラソントレーニング』p.110。同時期の選手ではワイツが74ml、ベノイトが78mlだった。なお、レースにおいては、より少ない酸素で走る「ランニング経済性」やランニング中の酸素摂取水準の維持能力なども影響するため、この数値の多寡だけで優劣が決まるわけではない。
- ^ a b 岡崎満義「増田明美さんの結婚」『SPORTS ADBVANTAGE』vol.239-1、2005年
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.32
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.89 - 91。宗兄弟からは「もう少し気が強かったらマラソンで成功した」と引退後も言われているという。
- ^ 岡崎満義「宮里藍・上田桃子の苦戦を見て」『SPORTS ADBVANTAGE』vol.401-1、2008年
- ^ 朝日新聞社会部(編)『人生それから』朝日新聞社(NDブックス)、1992年、p.35。実際、この発言以降に高校でマラソンを走った著名な女子選手は山本佳子程度で、増田の初マラソンの記録は40年以上が経過した現在も高校日本記録である。
- ^ 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』pp.164 - 165
- ^ 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』pp.80 - 82。通常夏のフルマラソンなら2 - 3kgは体重が減る。
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.249、『テレビでマラソンを楽しく見る方法』p49
- ^ a b 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』pp.23 - 24。演歌は走るリズムに合わないのでそれまで聴かなかったという。
- ^ 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』p110、『おしゃべりなランナー』p.153
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.95 - 96
- ^ 口にふたをして力をためる 共同通信2005年7月13日(リンク先は転載された増田のウェブサイト)
- ^ 後藤新弥「1984年8月、ロスに集まる危険な勝負師たち」『Sports Graphic Number』No.89(1983年12月20日号)、文藝春秋、p.29
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.156
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.86
- ^ 『人生それから』p.36
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.161 - 166
- ^ フェアプレー - 日本オリンピック委員会ウェブサイト
- ^ 『おしゃべりなランナー』pp.200 - 201
- ^ 産経新聞2009年6月30日
- ^ 永田七恵さんに別れ 日本女子マラソンの草分け - 47NEWS2009年9月29日
- ^ “佐々木七恵さん急逝14年、増田明美さん「女子マラソンの先駆者」…瀬古利彦さん「忘れないで」”. 読売新聞. (2023年10月27日) 2023年10月27日閲覧。
- ^ a b c 『テレビでマラソンを楽しく見る方法』pp.168 - 169(初出は共同通信1992年4月23日)
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- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.21 - 25
- ^ “「小出義雄さんはマラソン界のお日様」増田明美さん”. 日本放送協会. (2019年4月24日) 2019年5月3日閲覧。
- ^ “増田明美さん、3月末に小出さん見舞い「覚悟はしていた」/陸上”. サンケイスポーツ. (2019年4月24日) 2019年5月3日閲覧。
- ^ “小出義雄氏の通夜しめやかに 増田明美氏ら参列”. 東京スポーツ. (2019年4月28日) 2019年5月3日閲覧。
- ^ 『おしゃべりなランナー』p.190。宗兄弟からはその直情径行さから「パー子」と呼ばれていた。
- ^ 『おしゃべりなランナー』pp.136 - 137
- ^ 『おしゃべりなランナー』pp.20 - 30
- ^ a b 『おしゃべりなランナー』pp.41 - 46
- ^ a b “増田明美が時代劇ナレーション 遠藤憲一が推薦”. 日刊スポーツ (2015年11月25日). 2015年11月25日閲覧。
- ^ a b “売れっ子ナレーター増田明美さん 本職も絶賛する声の魅力”. 日刊ゲンダイ. (2016年6月2日) 2016年6月2日閲覧。
- ^ “宮崎県にゆかりのある蛯原友里さん・増田明美さんがW出演!今はダメでも来シーズンは宮崎に来てほしい!冬の宮崎の魅力を届ける「 (次のシーズンこそ!) 冬こそ、ようこ...”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “綾瀬はるか、斎藤佑樹・錦織圭・内田篤人らと“初ゴルフ”を満喫「最後に一番いいショット」”. ORICON NEWS (oriconn ME). (2022年5月16日) 2022年5月16日閲覧。
- ^ ブスでごめんね! - テレビドラマデータベース
- ^ 増田明美's Homepage
- ^ 笹川スポーツ財団(理事・監事・評議員)
- ^ プランジャパンウェブサイト
- ^ “第73回日本放送協会放送文化賞・受賞者資料” (PDF). 日本放送協会 (2022年3月3日). 2022年4月5日閲覧。
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