墓地の開設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 06:15 UTC 版)
「ハート島 (ニューヨーク州)」の記事における「墓地の開設」の解説
ハート島で最初に埋葬されたのは、南北戦争における北軍兵士20人だった。1868年5月27日、ニューヨーク市は、近くのハンター島(英語版)も所有していたエドワード・ハンターから75,000ドルでハート島を購入した:141:18。ニューヨーク市による埋葬はその後まもなく開始された。当時の公共墓地の面積は45エーカー (180,000 m²)であり、最初の埋葬者は1869年にルーズベルト島にあった市営病院(英語版)で亡くなったルイーザ・ヴァン・スリケという24歳の女性だった:138。その後、この墓地は"City Cemetery"(市営墓地)や"Potter's Field"(共同墓地)と呼ばれるようになった。 1880年、ニューヨーク・タイムズ紙は、ブルックリンの広大なグリーンウッド墓地とマンハッタンにおける歴史的に貧しい地域であるファイブポイントを比較して、この島を「ファイブポイントのグリーンウッド」と表現した。同紙はまた、ハート島について「ここは、ブラックウェル島からの松の箱が運ばれてくる所である」と、ブラックウェル島(現在のルーズベルト島)の市営病院から運ばれてくる遺体について言及している。ハート島の共同墓地は、マンハッタンにあった2つの共同墓地(現在のワシントン・スクエア公園とニューヨーク公共図書館本館の敷地の一部にあった)を置き換えた。ハート島の埋葬者数は、1958年までに50万人を超えた。
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