堂内の打穀機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 20:30 UTC 版)
明治時代の文献に記載のある「米搗き機」とみられる部品が五角堂内に残っており、復元されている。これは高さ約2.2mの三角柱状の櫓のような姿であり、綱を引くと滑車が動き、太い杵で穀物を打つことができるものである。また、1,000から10,000までを表示するメーターもあり、杵を打った回数か臼が回転した数をカウントするために設置されたと推定される。打穀機には製造年月日が「天保四年癸巳六月二十八日造形」(=グレゴリオ暦1833年8月13日造形)、「天保四年癸巳七月造工」(=グレゴリオ暦1833年8月造工)と記載されている。この年は冷夏であり、凶作を見越して伊賀七が作ったとみられる。
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