埼玉県教育委員
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2004年12月に埼玉県知事上田清司に招聘され、埼玉県教育委員会の委員に任命された。高橋は「新しい歴史教科書をつくる会」の役員をつとめている、扶桑社版教科書監修者でもあったため(この時点では既に辞任、監修も外れていた)、“教育委員という教科書採択に関わる立場として特定の教科書の関係者が加わることは不適切である”(地方教育行政法違反の疑い)として日教組、出版労働者(共産党系)、一部の教育学者や歴史学者、日本共産党・社会民主党、さらに高橋哲哉らが結成したグループなどが抗議運動を行った。高橋は着任後、2005年8月に行われた教科書採択においては、当該科目の採択において退席するという配慮を行ったが、結局扶桑社版は採択されなかった。 2007年10月25日、埼玉県教育委員長に選出された(任期は2007年10月26日より1年間)。2008年10月に再任されたが、教育委員の任期切れに伴い同年12月26日付で退任した。
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