坪内 八郎とは? わかりやすく解説

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坪内八郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 04:32 UTC 版)

坪内 八郎(つぼうち はちろう、1912年大正元年〉12月7日[1] - 1996年平成8年〉12月25日[2])は、昭和期教育者政治家衆議院議員剣道七段達士[3]

経歴

長崎県[2][3]出身。1940年(昭和15年)日本大学高等師範部修身公民科を卒業した[2][3]

帝京商業学校(現帝京大学中学校・高等学校)教諭、長崎逓信講習所教官、長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)教諭、同第二商業学校(長崎市立長崎高等学校となり2000年閉校)教諭などを務めた[3]

政界では、長崎県議会議員、長崎市議会議員に選出された。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で長崎県全県区に無所属で出馬して落選[4]今村等公職追放本田英作の死去により1948年(昭和23年)11月に実施された第23回総選挙長崎県第1区補欠選挙民主自由党公認で出馬して初当選[3][5]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。この間、民主自由党婦人部副部長などを務めた[3]。以後、第25回第26回第28回第30回総選挙に立候補したがいずれも落選した[7]。この間、1955年(昭和30年)4月の長崎市長選挙に立候補したが落選した[8]

その他、高砂水産加工監査役、長崎県モーターボート競争会長などを務めた[3]

著作

  • 『気剣体 : 剣士の心中には見物人もなければ生死もない!』日本文芸社、1973年。

脚注

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿.第5回国会』〈衆議院公報附録〉、1949年、7頁。
  2. ^ a b c d 『現代物故者事典 1997-1999』808頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』415頁。
  4. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』1607頁。
  5. ^ 「戦後の補欠選挙」83頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』365頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』365-366頁。
  8. ^ 長崎市・市長選(長崎県):政治データのブログ

参考文献

  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1997-1999』日外アソシエーツ、2000年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙 (PDF)”. 国立国会図書館. 2020年7月13日閲覧。



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