坂井徳三とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 坂井徳三の意味・解説 

坂井徳三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 23:49 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

坂井徳三(さかい とくぞう、1901年10月26日 - 1973年1月28日)は、日本の詩人である。詩人会議の創立メンバーとして、社会問題にかかわるを多く作った。

広島県尾道に生まれる。早稲田大学を卒業後プロレタリア文学運動に参加、はじめは世田三郎というペンネームを使って詩作をしていた。日本プロレタリア文化連盟(コップ)解散後は、壺井繁治小熊秀雄らとともに、諷刺詩集団〈サンチョ・クラブ〉に属した。1936年、世田三郎名で詩集『百万人の哄笑』を時局新聞社より刊行するも、すぐに発禁となる。

その後中国に渡り、北京で終戦を迎える。戦後帰国してからは、新日本文学会に参加、その後は詩人会議の創立に加わり、民主主義詩運動のメンバーとして活動した。松川事件の被告たちの支援につとめ、獄中での〈松川詩人集団〉の結成をはげました。

参考文献

  • 『坂井徳三詩集』(秋津書店、1973年)所収の「坂井徳三略記」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坂井徳三」の関連用語

坂井徳三のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坂井徳三のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坂井徳三 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS