地方問題解決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/07 08:57 UTC 版)
1917年(大正6年)に最上川改修に伴う赤川流域の附帯事業が計画され、最上川の両岸数百町歩を掘削することになったため、周辺住民は反対の陳情を重ねた。翌年庄内を訪れた際、改修計画を更改させることを約束し農民救済に当たった。その結果、川幅の拡大を縮小して西山を掘削することになり、1921年(大正10年)着工、1927年(昭和2年)に赤川新川は完成した。ほかには、盛岡~宮古間の鉄道路線実測を石丸重美鉄道技官にやらせ苦難の末に完成させた。関東大震災後の復興事業では復興局総裁に元秋田県知事清野長太郎を起用して、帝都の近代的復興に大きな功績を残した。地元問題では、平鹿郡田根森の泥炭試掘問題、吉野鉱山の煙毒問題の解決に尽力した。
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