地元・近江に本家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 06:29 UTC 版)
「太田近江大掾藤原正次」の記事における「地元・近江に本家」の解説
辻村の鋳物師が諸国に出向いたのは鍋釜を運ぶ費用を抑えるためだった。本家と妻子を辻村に置き、地元で雇った職人を各地の出店に派遣して、主人は本家と各地の出店を往来した。鋳物は日常生活に必要な鍋や釜を中心に梵鐘・鰐口・灯篭・天水桶にも及んだ。 辻村ゆかりの銘がある最も古い作品は、正長元年(1428年)に鋳造された蒲生郡日野町・金剛寺の梵鐘が考えられるが、戦時供出によって失われている。現存する最古の作品としては、天正2年(1574年)に作られた野洲市・御上神社の鉄湯釜が確認されている。
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