国際連合での活動
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1946年(民国35年)10月、蔣廷黻は宋子文と対立したことなどが原因で、UNRRA中国代表や善後救済総署署長の地位から罷免されてしまう。まもなく国際連合アジア極東経済委員会(後のアジア太平洋経済社会委員会)代表に転じた。翌年4月、中央研究院院士となる。1947年(民国36年)11月、国連首席常任代表兼安保理首席代表に任ぜられた。国共内戦で国民党が台湾へ逃れた後も、蔣は引き続きこの地位で反共主義に基づく活動を展開している。1961年11月、駐米大使を兼任し、翌年からは駐米大使専任となった。 1965年10月9日、ニューヨークにて69歳で病没。
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