国家警備隊の到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 00:47 UTC 版)
9時15分に、オクラホマ国家警備隊の総務局長チャールズ・バレットと109の小隊が、特別列車でオクラホマシティから到着した。州知事の要請で来たが、地元の市長や保安官、警察署長などの許可が必要だとして、即座に対応はできなかった。とりあえず、警備隊は朝食をとり、バレット総務局長は他の近隣都市からの救援を要請した。 この時点で、千人を超える黒人住民達はすでにタルサから逃げ出していた。また、4,000人ほどが収容所に連行され、拘束されていた。 バレット総務局長は11時49分に戒厳令を敷き、12時ごろには事態は収まり始めていた。戒厳令の下、収容されている人を含め、外出者は身分証明書の携帯が義務付けられた:123–132。最終的には、6,000人に上る黒人が、タルサ周辺の会議場や広場など、主に3か所に収容され、拘束は数日間続いた:83, 177。 1921年に国家警備隊員によって書かれた手紙には、暴動収束活動の内容として、次のようなことが書かれていた。 30から40人の黒人を拘束 マシンガンをトラックに乗せ、パトロール 黒人スナイパーからの射撃を受け、反撃 白人男性たちから射撃される 拘束した者を警察に受け渡す 再び黒人たちから射撃され、2人が軽い傷を負う 黒人たちと武器の捜索 170人の黒人たちを連行するために指示を出す さらに150人の黒人たちを会議場に連行する 戒厳令は1921年6月4日に解除された。
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