唐代、長安の北里
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晩唐の孫棨 (中国語版)『北里志』に詳しい。 長安、東市の西隣にある平康坊の東北の一角にあった。北から順に、北曲、中曲、南曲と呼ばれ、北曲は格が低く、中曲、南曲は格が高い妓楼が多かった。中曲には音楽師が住んでいて、宴席に呼ばれると駆けつけてきた。北里に初めて遊ぶものは、南曲に行った。格の高い妓楼には、入り口の両側に小さな堂があり、入り口や中庭には珍石や池があり、花が植えられていた。客間の3、4間あり、妓女たちは自分たちの部屋を持っており、客を泊めることもあった。洛陽などの地方の妓女に比較して、教養、接遇に優れ、公卿を相手にしても、のびのびと接した。
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