周の創始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 00:58 UTC 版)
詳細は「周」および「西周 (王朝)」を参照 周を建てるにあたり、帝辛の叔父の箕子を朝鮮に封じ、帝辛の異母兄の微子啓を宋に封じ、殷の祭祀が絶えないようにした。また、神農の子孫を焦、黄帝の子孫を祝、堯の子孫を薊、舜の子孫を陳、禹の子孫を杞に封じ、古代の王たちの祭祀も継承するようにした。 また、国師・軍師の呂尚(太公望)を斉、弟の周公旦を魯、召公奭を燕、管叔鮮を管、蔡叔度を蔡に封じた。 太伯の弟にあたる虞仲の曾孫である周章(中国語版)を呉、さらにその弟の虞仲を北方の虞に封じた。 また、鎬京に都し、武器を捨てることで、今後は平和を保つという意思を示した。これにより、周王朝1000年の基礎が築かれた。
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