呉清源来日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:00 UTC 版)
またこの頃、中国から日本に留学した際に囲碁を学ぶものも多く、呉清源の父呉毅も方円社に通うなどして初段に2子ぐらいの手合となり、帰国時には棋書を多く持ち帰った。また顧水如は日本に囲碁留学し、喜多文子とは2子の手合だった。呉清源は12歳の時に北京の囲碁クラブで日本人と対局して天才少年と話題になり、1926年に訪中した岩本薫に3子で勝ち、2子で負け、1927年訪中の井上孝平に2子で勝ち、先で1勝1敗。瀬越は1928年に弟子の橋本宇太郎を派遣し、呉は先番で勝つ。これにより呉は瀬越に招かれて来日、試験手合により日本棋院の三段に認められる。
※この「呉清源来日」の解説は、「日中囲碁交流」の解説の一部です。
「呉清源来日」を含む「日中囲碁交流」の記事については、「日中囲碁交流」の概要を参照ください。
- 呉清源来日のページへのリンク