呂布の赤兎馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 06:43 UTC 版)
赤兎馬が単一の個体(一頭の馬)であれば、呂布が董卓を殺害した頃(192年)から関羽が死去する(220年)まで約30年間現役の軍馬だったことになる。これは一般的な馬の寿命に相当し、不自然である。 柿沼陽平は、『藝文類聚』所引『瑞応図』の「赤兔」は「白兔(白兎)」と対比されており、「赤いうさぎ」の意で、馬に関する文章ではないとし、『藝文類聚』所引『七誘』所見の「逸態之赤兔」も「駿足之驪駒」と対句をなし、赤兔馬を指した語ではないとし、前掲『藝文類聚』は名馬赤兔馬伝説の論拠にならないとする。また漢代の簡牘に馬高140cm前後の複数の馬を「赤兎」と表記した例があること、当時は頭の形が兎のような馬を名馬としていたことから、「赤兔馬」自体は固有名詞でなく、「兎頭の赤毛馬(赤毛の名馬)」をさす一般名詞であり、当時赤兔馬に乗っていたのは呂布だけではないとした。
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