司馬靳
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司馬 靳(しば きん、生没年不詳)は、中国戦国時代の秦の将軍。夏陽(現在の陝西省渭南市韓城市)の人。司馬錯の孫で司馬遷の七世の祖。昭襄王に仕えた。
経歴
武安君白起の副将として、長平の戦いに参加し趙軍数十万の坑殺に関わった。この為、後に昭襄王から杜郵(現在の陝西省咸陽市渭城区)にて白起と共に死を賜り華池(現在の陝西省渭南市韓城市)に埋葬された。彼の孫である司馬昌は昭襄王の曾孫である始皇帝の時代、鉄を扱う官吏として秦に仕えた[1][2]。
脚注
- ^
史記 太史公自序第七十. 史記/卷130. - ウィキソース.
- ^ 和訳史記列伝 第七十 大史公自序531-532頁 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
関連項目
司馬靳(しば きん)
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「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「司馬靳(しば きん)」の解説
長平攻略軍の指揮官の一人。范雎の命で白起の抑え役となるよう密命を受けていた。流刑中の白起の傍らにあり、その半生の聞き手となり、白起自裁の折には殉死した。
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