右近(可遊)とその末裔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 07:54 UTC 版)
秀吉の黄母衣衆であり、伊勢国桑名城主となった一柳右近(可遊)は一柳家の一族という。直末・直盛兄弟との系譜関係については「不明」とする見解、「従兄弟」とする見解がある。一柳家には一柳右近将監(弥三右衛門)は宣高の子(直高の弟)である藤兵衛の子とする系図がある。 可遊は秀次事件の際に切腹するが、その息子は可遊の妹婿である加藤光泰の養子となって加藤光吉(信濃守)を称し、のちに光泰に実子の加藤貞泰が生まれると家臣となった。加藤信濃守光吉は光泰に仕えた3人の家老の中で一番家老を務めて2000石を知行し、子孫は代々大洲藩加藤家の家老となった。また、光吉の弟の一柳孫右衛門、光吉の二男である一柳新五左衛門も、それぞれ一家を立てて大洲藩に仕えた。
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