反今川派牧野貞成との訣別
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 07:18 UTC 版)
「牧野保成」の記事における「反今川派牧野貞成との訣別」の解説
弘治2年(1556年)には、実弟の牧野貞成(民部丞)が親今川派の保成と立場を異にして、織田氏に款みを通じる西条吉良系で当時西条城城主の吉良義昭に与同して今川氏に反抗。しかし乱は今川軍にほどなく鎮圧された。東三河に退いた貞成は既に同年2月今川義元の布達で牛久保城主の地位を失っており、蟄居隠棲した。この事後処理として今川義元は同族の牧野成定を貞成の跡目として牛久保城に入れ、この成定は惣領・牧野保成の意向に従って今川方として行動を共にしてゆく。
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